静かに淡々と紡がれる物語・・・
たまにはそんな漫画があっても良いですよね。
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「ブレない」って大事なことだなあ、と気づかされる物語です。
「繕い裁つ人」あらすじ
服に命を宿す人。
どこか懐かしい町並みに響くミシンの音。祖母の志を受け継いで、その人だけの服、一生添い遂げられる洋服を作り続ける。
そんな南洋裁店の店主・市江(いちえ)と、彼女の服を愛してやまない百貨店企画部の藤井(ふじい)。微妙な距離感を保ちながら関わる二人と、服にまつわる人々の思いを描き出す、優しい優しい物語です。

「繕い裁つ人」を読んで
洋裁店って昔は町にひとつはあったような気がします。
今は町にひとつは大型ファッションセンターが建ち、誰かと同じような服が1シーズンごとに安い値段で売られています。
いつから着る人のことを考えず、値段や流行だけで服を選ぶようになったんでしょうね。
そんな事を考えてしまう物語でした。
自分が背負う前からある「看板」はとても重いものだろうけど、それが自分の差さえでもあり、芯でもあるのでしょう。

市江と藤井
「頑固じじいって感じですよ」――市江の服を自分の百貨店で扱いたいのに、頑として首を縦に振らない市江を指して言う藤井。
市江の作る洋服に惹かれ、近所のセレクトショップに納品される日を狙って訪れ、一点ものの服を「サンプルに」と買い上げてしまう藤井は、自宅に市江の服をトルソーに着せてまで飾っていたりします。
「丁寧に作られたもの」に魅力を感じ、頑固じじい、すなわち昔気質な職人である市江の、その態度と仕事への姿勢にリスペクトを持っていると言います。
だから、市江の服を買った人が、自分の好みやサイズに合わせて直しを要求すると激怒してしまうほど。
最初のうちは市江の作る完成品の服への思いが強かったように思う藤井は、服を作り上げていく過程の市江を見知っていくにつれ、市江その人の人となりへと興味の対象が移っていったのでしょう。
そんな市江は、「南(祖母から受け継いだ自分の洋裁店)を取ったら私に何が残るの」と言い切ってしまうほど洋裁がすべての人。
そして、「二代目(自分)の仕事は、初代の仕事をまっとうすること」とも言います。
祖母が亡くなるまで居た町で、祖母が作った服と、祖母が服を作った町の人たちに囲まれて生きることは、とても窮屈なのではないかなとさえ思えますが、市江は息苦しくは思っていないようです。
南を捨てられない市江
過去には、洋裁店を畳んで嫁に来てほしいと言われたプロポーズも断ってしまったことも。なのに、かつての恋人の母親は、「息子が最近結婚した」「嫁と上手く行かない」などと言って市江を訪ねてきます。
市江は男性の母親に冷たくするどころか、旧友に対するようにごく普通に接します。
そして、自分は市江のことを気に入っていたのに、という男性の母親に、自分は南を捨てられない、と言ったこと、男性もまた同じように「母を捨てることはできない」と答えたことを市江は明かします。
それは恨みごとでもなく、淡々とした事実の告白でしたが男性がいかに母親を大事にしていたかということ、自分がいかに洋裁の仕事を大事にしているかということを示すことで男性の母親に、あなたの息子は母親を大事にする嫁をもらってくれたのだと教えるのでした。
またある時には、離婚が理由で遠くへ引っ越していった女性が、市江が作ったドレスを持ってやってきます。
「すごく気に入っているんだけど、あの人(元夫)に作ってもらったと思うと腹が立って」と言って。
市江はその服を引き取り、ほどなく自分の作品展示会で飾るのですが、女性の元夫が展示会を観にやってきて、そのドレスを見つけます。
自分が元妻のために仕立てた服だと気づく元夫に、市江は「持ち主の気持ちと一緒に引き取った」と答えます。
後日、市江はそのドレスを切り裂いて火にくべて焼いてしまいます。
10年近く連れ添いながら、ほかに好きな女性ができたと一方的に離婚を要求された女性の気持ちのたけを市江が代行したかのようです。
「繕い裁つ人」というタイトルに込められたもの
「繕い」「裁つ」人というタイトルには、市江のこの洋服とそれを着る人間への思いやりが込められているのでしょう。
「縫う」ではなく「繕う」ということ、それは、「作る=ただ縫う」より強い思い入れがなくてはできないことです。
(実は、お恥ずかしいことに、映画化されるまで『縫い裁つ人』というタイトルだと思い込んでいました)そして一枚の布に、あるいは修理やリフォームの折には思い切りよく、はさみを入れなくてはならない姿勢が「裁つ」人なのです。
最後まで読むと、このタイトルが、市江そのもののことを言っているかのように感じられるはずです。
携帯電話やメールが出てこず、市江は足踏みミシンを使っている、ということから考えると、作品の時代設定は30~40年ほど遡った時代なのかもしれません。
しかし登場人物たちによる、「仕立ては贅沢」という言葉が何度か出てきますから、日常生活では既製服を買うのがほぼデフォルトな時代。
昔、多くの家にはミシンがあり、子どもの服や自分の普段着程度なら母親が作ることも多い時代がありました。
お店で買うのは、お父さんの背広や、お母さんの着物、子ども服でも手の込んだ”よそいき”と言われる服。
それは母親が家にいることが多かった時代。そんな時代、ミシンは嫁入り道具に必至だったり、おそらく流行り始めた割賦払い(クレジットローン)を組んでも欲しい”お母さんアイテム”でした。
その後徐々に、女性が家の外で働くことが当たり前に変わり、すると母親は家での仕事に多くの時間が割けなくなりました。
色やサイズ展開が豊富で、「好み」で選べる既製服が店に並ぶようになると最早、誂えることが贅沢になったわけです。
もちろん、ミシンが普及したといっても、苦手な母親はたくさんいたはずです。
だからこそ、南洋装店の一代目、市江の祖母の店は町で重宝されていました。
そこから二世代下っておよそ半世紀後の市江の時代には、家庭にミシンがないことも少なくなると同時に、既製服の普及も広く、「家のミシン」代わりを仕事にもできた祖母の時代から、市江の仕事は「誂えという贅沢」に変わっていった頃だったのでしょう。
それでも、洋裁が「人を幸せにする仕事」であるということに、市江と祖母の間でなんら差はありません。
むしろ、祖母の時代を知っている町の人たちに囲まれて暮らす市江にとって、祖母の仕事を引き継ぐことの重みは、相当なプレッシャーです。
何せ、自分より技量の高い祖母と何かと引き比べられる上に、祖母のやり方になじんだ人たちと付き合わなくてはならないのですから。
だから藤井に、「あなたは一から何も作ったことがない」と、祖母の仕事を引き継いだだけだと指摘されたとき、市江はそれまで心の中にため込んだ気持ちに気づかされたのではないかと思います。
自分は、祖母の仕事をまるっと引き継ぐということの大事さと、ただ祖母の仕事を引き継いだだけではないという自分の中にあるプライドとを併せ持っているということに。
変わってしまったもの
藤井は、丸福百貨店のフランス支店を閉めるためのスタッフとして渡仏する希望を出します。
心の中に複雑な気持ちを持ちながらも、市江が考えたことは、藤井のコートを作ることでした。
しかし市江はお餞別のつもりでしたが、藤井のほうからも、「コートを作ってください」と言われます。気の合うふたり。
淡々と採寸をし、裁ち、縫う――ここまで読んできて、この作品にモノローグがないことに気づきます。これは驚くべきことでした。
絵柄が素朴なせいもあってか、表情豊かな絵ではないので、心の中がモノローグで語られていてもおかしくないのですが、この作家は、この作品に限らず、モノローグはほとんどありません。
声にするべきことは吹き出しの中に書かれ、思ったことは微妙な加減で登場人物の表情に出る。
つまりは、私たちが普通に生活している日常と同じということですね。相手が口に出すことは聞こえるし、物陰で聞くこともできる。
でも、声になっていない言葉は、相手の表情や沈黙から読み取るしかない。だからでしょうか。
この人の作品では、ちょっと心がざわざわします。
ドキドキするとも言えます。登場人物がどう考えて次の行動をとるのかを想像し、言われたセリフに、本当はどう思っているのかを想像してあげなくては、と思わせられるのです。
だからこの人の作品は、とてもやさしい気持ちになれるのかもしれません。
最終話で、藤井はパリの大通りのはずれにある小さな店で、その店のオーナーである老女から話しかけられます。
藤井が熱心に見ているリネンはもうなかなか手に入らないものだから、「ほしいなら早く手に入れないと、いつまでもあるってわけじゃないからね」と。
その言葉に、藤井が市江を思い浮かべなかったはずがありません。
市江の顔は出てきませんが、振り向いて老女の言葉に耳を傾ける藤井→布を見直す藤井→布に顔を近づけて少し微笑む藤井、という3コマだけで藤井の心が誰のもとへ飛んだかが読者には明らかでしょう。
その前にはご丁寧に、老女はその布のことを「糸は強くてかたいのに、着続けると不思議としなやかにしなる」と評しています。
布の特徴を言いながら、老女は知りもしない市江の本性を言い当てるかのように。
モノローグのない、それでいて藤井の心の中のつぶやきが聞こえるかのようです。
そして、本編最終話の後に「エピローグ」として、主人公の市江の親友、芳乃との会話が描かれています。
芳乃は市江と同じ町内で小さなカフェ”サウダーデ”をひとりで切り盛りしながら、写真を撮りながら放浪を続ける恋人を待っています。(この作者の『サウダーデ』という作品は芳乃を主人公とした別作品。市江も芳乃の友達としてちゃんと登場します。)
藤井をフランスへ送り出した後も、市江の日常は変わりません。
毎日同じようにミシンを踏み続け、針を手にして縫い続けます。
それでもふと、藤井がこのまま帰ってこないんじゃないかしら、と思ったのでしょう。
それほどに、市江の中で藤井は「日常」になっていたのだと思います。
「日下部君、帰ってこないね」と、芳乃の彼が長く帰らないことを呟く市江は、「日下部君」のことを言いたかったわけではなかったのかも。
「便りがあるうちは大丈夫よ。便りがなくなったらつかまえに行くわ」という芳乃の答えに、ゆっくりと微笑む市江。心から納得した、という顔。
母親の広江から、「どこへ行ってもいいのよ」「お店なんてどうなってもいいのよ」と言われ、特に藤井がフランスへ行くと知ってからはなお、市江に南洋装店に縛られなくていいと言い続けた広江の言葉に、頑として容れようとしなかった市江も、この芳乃の言葉で初めて、少し変わったのではなかったでしょうか。
藤井はフランス支店を閉めるために渡仏したのですから、いずれ帰ってくるもの、でももしかするとフランスで何かを見つけて、帰ってこないとも限りません。
人は変わるのです。変わろうとしない市江だからこそ、人が変わっていくことには敏感です。
市江の服が好きで、市江の仕事への姿勢が好きで、市江の人となりそのものが好きな藤井が、(たとえ一時期の予定だとしても)市江と離れフランスへ行こうと決意することを、市江は責めます。
「あなたは変わってしまえるのね」と。
それほどに、変わることをよしとしない、恐れてすらいたかもしれない市江が、芳乃の言葉によって目からうろこが落ちるように、ひょっとしたら藤井を追ってフランスへ行くなんてこともあるかもしれない、と思えるエピローグに、思わずほっこりできました。

ストーリー
画力
魅力
笑い
シリアス
ラストはありがちなハッピーエンドではないものの、決してバッドエンドではありません。
きっとこの終わり方がこの世界観に一番しっくりくると思います。
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