険しい山を登る人は「そこに山があるから」と言うようですが、本当はそこにある山で自分にだけしか見えない風景を見に行っているのではないか、と思うんです。
季節も天候も含めて、一度しか見られない風景。
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実写映画化もされていますが、実写化に伴い連載内容が変化していったという話です。
「岳」あらすじ
秋の北穂高岳。登山中の中年男性・黒岩が、雪に足をとられて崖から転落、腕を骨折して動けなくなってしまった。
山麓の警察署では下山時刻が遅れていることから、山岳遭難防止対策協会のボランティア・三歩に救助を要請することに。
見かけは頼りなさそうな三歩だが、ヒマラヤや南米の山を歩いてきた経験豊富な救助員で…

「岳」を読んで※ネタバレあり
※この章のラストにはネタバレがあります。
ネタバレ前にもう一度注意をしますので未読の人は注意してください!
18巻で既に完結しています。
ラスト18巻については賛否両論・・・というより「否」しか聞こえてきませんでした。

人の命というものを大事にしていた三歩が最後にやったことはまさに「命を軽くみた」としか言いようがない行動でした。
もちろん山岳救助では全員の命を助けることはできません。
しかしその中でも助かる命は助けるという最大限の努力をしていた三歩なのにという意味で「否」の意見が多かったのは理解できます。
それもこれも「実写映画化」という重い荷物があったからのようで。
作者・石塚真一はもう少し早く物語をまとめたかったのだが連載中に実写映画化が決まり公開するまでは連載を続けるべし、という事を言われそれでも続けていた連載中にできた映画が・・・
という意味合いがあってのあの壮絶なラストの展開だったと思えば命を「軽くみた」ところも理解できるかもしれません。
作者はメディアでのインタビューなど良く出ているのですが岳のラストと映画に関しては一言もコメントしていない、というところも意味深ではあります。
しかし、17巻までのストーリーは神漫画です。
※以下ネタバレ注意
今まで命を軽く見ることはなかったのに自分の中での命の優先順位をつけていた三歩がした事は自分の命を削ってまで人を助ける、という事でした。
エベレスト前までも自分の命を削っている?という描写はあったけれども無謀な事はしない三歩だったのに。
意識朦朧となった三歩はナオタから貰ったコーヒーカップに何も入っていないのにコーヒーを飲んだ気になり「帰るか・・・」と言い↓の画像のようになってしまいます。
そのコーヒーカップが割れている、というのも何かを暗示しているのか?
そして5年後、成長したナオタが「兄ちゃんとの約束」の山へ登るのは岳と書かれた三歩の帽子とともに一人。
という事で三歩はエベレストでの遭難救助の二次災害により亡くなってしまった・・・
本当にそうでしょうか?
こう疑問を投げかける理由は、ラストページを見てみるとナオタが三歩へ作ったあのコーヒーカップが描かれていますが、割れてしまったコーヒーカップは直っているのです。
このコーヒーカップが過去のものなのか現在のものなのか。
現在のものであれば命の助かった三歩。しかし山へ登ることは出来なくなったのでナオタは一人で山に登った、と読み取れます。
作者は三歩の生死についても明言していないので読者がそれぞれのラストシーンを考えるというところまで含めての最終回なのかな、と思います。

マンガ「岳」の主人公島崎三歩の生死についての考察
ファンの間で意見が分かれている三歩の生死問題ですが実際はどうなのか気になっている人も多いはず。
ここでは三歩が実は生きている3つの理由についてご紹介します。
理由その1.三歩が愛用しているコーヒーカップが直っている
これは先程でも述べた通り三歩が愛用していたコーヒーカップが直っている事が三歩が死んでいない一つ目の理由になります。
18巻で自分の命を危険にさらしながら遭難者を助けた三歩。
しかしかなり無理して救助に向かった結果、三歩は体に重大なダメージを負ってしまいます。
壊れたコーヒーカップは三歩が重症であった事を暗示しているのでしょう。
もし最終回で壊れたままのコーヒーカップが描かれていたとしたら三歩の傷は癒えていないもしくは亡くなってしまっていると考えられます。
しかし18巻で壊れたはずのコーヒーカップが直っています。
そのような描写を作者の石塚真一先生がわざわざしたのは「三歩が復活し元気であることを読者に伝えたかったから」と考えられるのです。
もちろんコーヒーカップの直したのは三歩ではなく他の誰かという可能性もありますが傷が治った三歩が自身の愛用しているコーヒーカップを直してエベレストでコーヒーを飲みながらナオトを待っていると考えるのが自然でしょう。
つまりコーヒーカップが直っている描写から三歩が生きているのではないかという事がわかってきます。
理由その2.三歩の親友である野田が最終回に登場していない
三歩が死んでいない2つ目の理由は「重要人物である野田が最終回に登場しないから」です。
野田は三歩の親友で山に対しても深い知識と経験を持ちしかも三歩の良き理解者でもあります。
もうほとんど三歩の相方といってもいいでしょう。
そんな野田が最終回に登場しない理由・・それは三歩が生きていて野田と一緒にエベレストにいるからだと考えられるのです。
その伏線が作中にも描かれています。
野田「明日、俺、オフなんだ。俺も探しに行くよ。」
三歩「おう!熱っいねー!」
野田「それじゃ、明日、山で・・。」
このやり取りはこれからのストーリーで野田が三歩と行動を共にするという伏線ではないでしょうか。
新人隊員の二重遭難の責任を取って左遷が決まった野田ですが今まで自分のために助けてくれた三歩を見捨てるはずはありません。
素直に左遷に従うことになると山に関する仕事をできなくなる可能性があり当然三歩とも離れ離れになってしまいます。
三歩への恩返しをするために野田が警察官をやめて三歩と一緒にエベレストに行くのは自然な流れでしょう。
つまり「岳」の最終回で野田が出てこない理由は三歩と一緒にエベレストにいるからと考えられるのです。
野田をあえて最終回に登場させないことで三歩は生きていて野田と一緒にいるということを作者の石塚真一先生は伝えたかったと考えられるのです。
理由その3.三歩が北アルプスを去って5年と明示されている
三歩が死んでいない3つ目の理由は「三歩が亡くなったという表現が一切出てこないから」です。
最終回では「三歩が北アルプスを去って5年」と明示されていますが実際に三歩が亡くなったという直接的な言葉はありません。
通常、人が亡くなったのであれば
- 天国で見守ってくれる
- 天に召された
- 安らかに眠っている
- 永眠している
- お墓で手を合わせる登場人物たち
- 遺志を継ぐ
などの言葉や表現が出てくるはずですが岳の最終回では以上のような表現は一切出てきません。
ただ「去った」とだけ言っています。
確かに去ったには亡くなるという意味もありますが普通に読めば単に「(三歩が)別のところに行って去ってしまった」と見るのが自然です。
つまり三歩は死んでいるのではなく生きているということが最終回の言い回しから見えてきます。
以上、三歩が生きている3つの理由について考察しましたが皆さんはどのように思われましたか。
実際に根拠を挙げていくと散歩は生きている可能性の方が高いと考えられるでしょう。
三歩が生きていてもそうでなくてもマンガ「岳」の素晴らしさは変わりませんが「三歩は生きている!」と信じたい大勢のファンのためにもスピンオフでもいいので三歩の元気な姿を一度見てみたいですね!
さらに作中には三歩が放った名言も見逃せません。
「大丈夫!よく頑張った!」(遭難者を一切批判せずに励ます三歩)
「広いよね・・山は・・」(助からなかった遭難者にも敬意を払う)
「空が恋しいじゃん。さ、帰ろう!」(遭難者を安心させるためにあえて軽口を言う三歩)
「山に捨てても怒られないもの、知ってる?命とゴミ以外ぜーーんぶ!」(岳の作中で一番の名言!)
などなどめちゃくちゃ感動すること請け合いです。
素晴らしいストーリーや感動する名言、そして三歩というキャラクターの魅力を本編の方でぜひ楽しんでみてください。
涙腺崩壊必死の傑作マンガ「岳」。
皆さんも一度読まれてみることをおすすめします!
ストーリー
画力
魅力
笑い
シリアス
体力ないけど・・・
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「岳」を読んだ人におススメ
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